日常の短歌 第1話

去年の笹井宏之賞に出したものからいくつか。

 

傷つけることへの恐れ方としていつまでも僕の弱い筆圧


実家から雑なLINEをしてきてよ畳の写真とか送ってよ

 

三種のチーズ牛丼正しくオーダーしチーズ牛丼と復唱される


ノスタルジーしたいときは各停に乗る一駅ごとに記憶を開く


広告の動画をやり過ごす間見つめる印象派展のポスター


好きな子の名前パスワードにしてた今だと短すぎてダメなやつ


食べログで3.5点のラーメン屋のずっと壊れている食券機


卒論でやった作家の二番目の恋人の名が思い出せない


暗すぎず明るすぎない照明がちょうどいいわけでもない僕の部屋


「ご自宅用」の言葉の意味が分からずにLOFTのレジでヘラヘラ笑う


10年間通い続けてるヒトカラのレジのお姉さんのスゴい手際


52は4の倍数ぽくないね共感されないことだとしても


ポケットにファミマのレシートくにゃくにゃといつまでも追憶のファミチキ


くせっ毛を活かすっていう概念を教わる八月の美容室


目玉焼きおいしいという価値観を軸にやらせていただいてます


心臓がハーツでハツになったことちょっといいなと思った心


スクランブル交差点を行く人々の各々の途方もない目的地

僕が今ラブライブフェスに行くということ

半年ほど、ラブライブを離れていた。
離れていたというのはそのままの意味で、アニメを観ず、楽曲を聞かず、各種情報をチェックせず、言ってみればラブライブに特に興味がない人とほぼ同じ状態だ。半年ほどと書いたが、具体的にはAqours5thライブの後である。
 
サンシャイン劇場版、そしてAqours5thライブを経て、僕のラブライブという作品への向き合い方は大きな転機を迎えた。そこに描かれていたのは、世界はつづいていくということだった。
作品を追う、享受するというあり方から、作品から受け取ったものをどう自分の人生にしていくかというステージに進んでいった。僕自身の人生がラブライブになったのだ。いや、ラブライブにするのだ。僕自身の手で。
 
その結果、逆説的にというか、ラブライブのコンテンツそのものを追うことが自分にとって必ずしも必要でなくなった。
 
このタイミングでたまたま、PassCodeに出会った。PassCodeというのは2013年大阪で結成されたアイドルグループである。ジャンルとしてはラウドロック、パワフルなバンドサウンドと激しい曲展開、目の覚めるようなシャウト等々を特徴とし、精力的にライブを行なっている。見てもらうのが早い。
PassCodeとの出会いはたまたまGoogleがサジェストしてきた VERSUS PASSCODEPassCodeが例年主催している対バンツアー)の告知記事だった。そのサムネイル画像に何かを感じた僕は、その場でSpotifyPassCodeを検索、最新アルバムを聴いてみた。なんだこれは。一曲目のPROJECTIONで魂を深めのところを鷲掴みにされ、あ、これはハマるやつだという確信があった。YouTube公式チャンネルで各種MV、ライブ映像を漁った。ちょうど夏のボーナスも出た頃だったので、ライブBDも迷わず買った。深みに踏み入っていくのにそう時間はかからなかった。ライブ参戦を決意した。
 
 
さて、ライブ映像を少しでも見てもらえれば分かるが、PassCodeのライブは激しい。各種のライブ的行為が同時多発的に起こっており、フロアがぐちゃぐちゃになるタイプのやつである。ラブライブで客席のうるささにはかなり耐性があるが、アリーナ系会場の指定席しか経験のない僕には、心理的ハードルはけっこうあった。でも行ってみるしかない。だってときめきに出会ってしまったから。
 
 
PassCodeの初現場は、出会いのきっかけとなったVersus PassCodeの大阪公演@なんばHatchとなった。BAND-MAIDとの対バンだ。ちなみにBAND-MAIDも好きです。 *1
そのまま10月からのツアーへの参戦を決意した。参加を重ねるごとに少しずつ身体の使い方がわかってきた。フロア前方を攻められるようになってきた。自分が音楽に合わせて身体を動かすことがこんなにも好きだったのだということを初めて知った。
 
推しと接近できないタイプのオタクだったが、意を決して握手会にも行った。*2 推しの手は人間の手だった。推しと握手しても世界は崩壊しなかった。 *3 ちなみに僕の推しは南菜生という女である。南菜生を人に説明するときいつもちょうどいい画像がないのだが、とりあえずインスタを見てください。 
 
シャウトに憧れ、毎週ヒトカラで練習した。*4 最初は毎回喉を潰していたが、だんだんシャウトらしい音が出せるようになってきた。喉の奥行きを使うのだ。できなかったことが練習によりできるようになるという体験はいつも何度でも尊い
 
本当に僕はまだ自分のことを全然知らなくて、知るためにはやってみるしかないのだ。心にさざ波が起きたなら、踏み出してみるしかないのだ。僕は彼女たちにそう教わったから。
 
2020/1/13(祝)、PassCode CLARITY Plus Tour Final Day2 @新木場Studio Coast、見事2日間ソールドしてみせたその会場で、推しは2021年日本武道館でのライブを目指すことを宣言した。奇しくも成人の日だ。今までこうした具体的な目標の宣言を行なってこなかったPassCodeが、勝負に出たのだ。それはどれほどの覚悟だっただろうか。僕は泣いた。PassCode歴半年だが泣いた。つづくIt’s youでいよいよ号泣した。*5 It’s youはPassCodeで一番好きな曲だが、言葉の一つ一つがあまりにこれまでの、そしてこれからの彼女たちの物語そのものだった。ようやく僕は It’s you という曲を本当に聴けたのかもしれない。
 
 
実はPassCodeのツアーの追加公演とラブライブフェス初日が被ったのだが、ラブライブフェスに行く。正直かなり迷ったが、このツアーファイナルを受けてかえって決意が固まった。僕自身も次の場所へ向かうため、自分の出発点を確かめる必要があるのだ。2020/1/18(土)、さいたまスーパーアリーナにきっとそれはあるだろう。彼女たちに会えるのだ、もう一度。僕が初めてLIVEというものを体験したあの場所で。
 
予習は間に合わないだろう。虹ヶ咲はマジで聴けてない。でもたぶんそれはあまり重要なことではないのだ。ラブライブに人生を跡付けられた今の僕がそこに行くということが重要なのだ。そういうことにしておく。
 
自分の人生がどうとか言っておいて、別のアイドルにハマっとるだけやんけと言われればまあその通りなのだが、PassCodeにハマることができたのもラブライブのおかげだと信じている。ラブライブを通じて多様なジャンルの音楽に触れていたこと、ライブ現場の経験、そして何より起こってしまったときめきを否定しないマインドだ。
 
何を言いたいのかよく分からなくなったが、推しの武道館宣言を受けて何かしらPassCodeを布教する行為をしたかったのと、ようやく自分の中でラブライブPassCodeを接続する何かが書けそうな気がしたので、久しぶりに筆をとってみた次第である。
 
では、さいたまスーパーアリーナPassCode現場でお会いしましょう。

*1:ちなみにそもそもPassCodeの記事がサジェストされたのも、対バン相手であるBAND-MAIDを一時期集中的に聞いていたためと思われる。すべての出会いはつながっているのだ。

*2:握手会前に気を鎮めるために作った短歌です。

 推しに触れることを思えばてのひらに刻まれいたる無数の溝よ
 推しの前に肉体として立つことの無謀な光 さらされている
 推しの眼は動物の眼の一種だと 惑星のごと丸みを帯びぬ

*3:握手会後の短歌です。

 初めての推しとの握手を終えて見る空のどこかに探すひび割れ
 ぢつと手を見るなどという経験がかくして私にも訪れり

*4:PassCodeでシャウトを主にやっているのは今田夢菜さんという方である。今田夢菜さんは壮絶なシャウトをするが、たぶんとってもマイペースな女の子である。夢菜さんがしゃべるときの息継ぎのリズムが大好きです。

*5:僕が号泣してるときにリフト要求してきたやつは許さない

2019旭川 Day1

空港を出ると、白い。すべてが、白い。初期化されたキャンバス。いや、上塗りされた白。

 

初めからそうだったからというような白さで街を塗りつぶしてく

 

バスに揺られて市街地に近づくにつれ、少しずつ色があらわれる。人の営みが見えはじめる。

雪は人間の上から降って、境界を無化する。抗いがたい白に、人間は境界を引き直す。

生きるとは境界を定めることか。 

 

 ***

 

旭川駅に着いて、観光センター併設の食堂で昼食をとる。完璧なたたずまいの食券機で醤油チャーシューめんの券を買い、引き換えに2番の札を渡される。2番さん。旭川での名だ。

 

2番さんであることを受け入れる今ようやくたびの旅の始まり

 

駅近くのホテルにチェックインを済ませると15時過ぎ。半端な時間だが、駅の南側にぽつんとあるらしい、三浦綾子の記念館に行ってみようと思う。とにかく雪道を歩いてみたかった。

 南へ向かう。本来の舗装が見えるまで融雪されているのは本当に選ばれた道だけで、南へ向かう道はひたすらに白い。雪に自分の足跡を刻みながら進む。雪はさらさらとしていて、案外滑る危険は少ないようだった。氷点橋を渡って、氷点通りを進む。氷点、氷点。傲慢な単語だ。世界を二分する。

 

氷点の下に世界は沈みおり 溺れることすら忘れたみたい

 

歩く人は不安になるほど少ない。車通りはそれなりにあるが、雪が音を吸うためか、雪用タイヤの性質なのか、不思議なほど車の音は小さく、どこか遠くの出来事が響いているような感じがする。もぎゅもぎゅと雪を踏みしめる。一歩ごとに一人になっていく。

横断歩道は見えなくて、交差点ごとに、信号と信号に挟まれた一定のエリアをおずおずと歩く。規範とはこのように生まれるのだろう。

 

おそらくは横断歩道である場所をぼくが歩くとおまえも歩く

 

空は順調に暗さを増していく。案内板だけは妙に高い頻度であらわれて、目的地までの距離を感じながら歩く。雪道では普段ほどのスピードが出ないことに、ようやく気づく。大きめの道路を渡って少しすると、歩道がなくなった。車道と思われる場所の端っこを、気をつけて歩く。ほどなく、通せんぼのような高い木々が突き当たりを知らせた。外国樹種見本林。その脇に、記念館は静かに佇んでいた。

 

 ***

 

三浦綾子のことを知らない。せめて読んでおこうと思った『氷点』は結局50ページくらいしか読めなかった。

その生涯をたどったパネル展示を丁寧めに読んでいく。その多作に驚く。乞われて書きつづけたのだ。生きる道をそう定めたのだ。そのようにして書きつづけることの尊さを 少しは知っている。

 

書くことを生きることとは定めたり 軒のつららは研ぎ澄まされて

 

ささやかであたたかくて、複数の愛に支えられた空間に、何かを突き付けられる。

建物を出ると、思い出したように冷気が全身を襲う。見本林の前に立つ。すき間から見えるその先に、意外にも世界はつづいているようだった。

 

果てだよと教えるような見本林その隙間から未来を覗く

 

来た道を戻る。雪がちらついている。

 

 ***

 

 酒を飲む場所を探す。駅で取ってきたぺらぺらのガイドマップであたりをつけ、歩き出す。新子焼というのが食べてみたかったが、なんとなくどこも入りづらく、ぐるぐると夜の街を歩く。

 

 新子焼、鳥の半身、求めあうアンドロギュヌスじゃなかったぼくら

 

ローカルチェーンらしき飲み屋がある。無料案内所がある。ふんわりとした愛称がつけられた一角がある。街の構造を、設計思想を把握する。把握した気になる。基本的に人は少ない。雪は入り口を閉ざしていて、入店までの異なったステップを現出させる。

結局1時間近くも歩き回って、目についた蕎麦屋に入る。地酒地酒地酒。旭川のものではないが、ニ世古彗星という酒が格別に美味い。その名をひとり言祝ぎつつ、今日の旅の正しさを確信する。

 

日本酒に彗星という名をつけることの切実 盃を干す 

 

明日は今日よりも冷え込むようだ。

Aqours 4th LoveLive! のこと

3rdで彼女たちは途方もない高さまで行ってしまって、伊波さんは本当の太陽になってしまって、そんなところにNo.10なんて曲を放り込まれたからかなり戸惑っていたしダメージも受けていたけど、4thで彼女たちがもう一度地上に降りてきてくれたという感覚はやっぱりあって、大切なものを一つも漏らさない手つきで彼女たちの道をたどりなおし、僕たちが追いつく準備を万端に整えてくれた。
 
結局僕はとても情けない声で「じゅぅ…」とつぶやくことしかできなかったけど、直後に「勇気を出してみて本当はこわいよ 僕だって最初からできたわけじゃないよ」と歌いかけられてしまったので、絶対に敵わないとまた思わされてしまった。人生を自分のものにするのにもう少し時間がかかりそうだけど、目覚めたら違う朝であることは希望だと今は思えるから、たぶん前には進んでいける。
 
 
丁寧に落穂を拾うようにしてもう少しだけ地上を歩く
この場所に地上も海も空もある2階席にて太陽となる
並び立つことは覚悟かじゅうと言うときにざわめく心の部分
何度でも出会い直せばいいんだね あなたたちさえそうなのでしょう
まっすぐな道でなくても見渡せる少しだけ高い場所に着いたよ

飯田彩乃『リヴァーサイド』

 

横たはるフローリングの冷たさよここより遠き異郷はなくて

 

9月の休日。もう冷房をつけるほどではないけど何となく蒸し暑い。扇風機は引っ越しのときに処分してしまった。

 

窓を開けてみるも風はなく 、やりきれなさにへたりと座り込む。茶色く光るフローリングのちょうどいい冷たさに気づく。

 

そのまま横になる。求めていた冷たさが背中に張り付き、適切に温度を吸い取っていく。

天井が見える。電気の傘が見える。首を動かすと、ソファーの下の積もったほこりが思いのほかの分厚い。

 

いつもと違う身体の置き方がトリガーとなって去来するものがある。

 

実家を出て12年になる。18のときだったから、成人としての自我はまるっきり東京にある。そのつもりで来た。

 

今、思惑通り東京が好きだ。東京に出てこられたから、生きてこられたと思う。隣人を知らないことを許される場所だから、やってこられたと思う。

 

「ここより遠き異郷はなくて」

 

決して故郷にはならない場所で生きる。一番愛おしい場所を、最も遠い異郷として抱いて。

 

 5首選

ゆつくりと小指で浚ふあやとりの川底にあるそのさみしさを

感情をあなたに言へば感情はわたしのものになつてしまふよ

夕立ちよ 美しいものことごとくこの世のそとに溢れてしまふ

前髪のひとすぢ風に吹き上がりどんな過去にも戻りはしない

横たはるフローリングの冷たさよここより遠き異郷はなくて

 

 

2018 熱海にて

札幌に行けなくなった代わりに行った熱海の、断片的な紀行文を書きました。

***

明るいままに一瞬の通り雨が過ぎて、虹が出る。半円の虹はその半分に、さらにその半分にと、移ろっていく。消え去るまでの間、魂をそちらへ飛ばす。

 

半円の半分の半分の虹記憶のようにとどめられない

 

傾く日差しの中で細やかな陰影を与えられ、少しの間だけ空の主役となっている雲がある。

高速船の入港を合図にカモメたちが飛び立ち、しばしトンビとの駆け引きを楽しむように舞い飛んだあと、一羽、また一羽と別の場所へ飛び去っていった。彼らが自分の行くべき場所を知っていることが妙に頼もしくて、その力強い翼が墨色の鳥影となるまでを、見つめていた。


夜の遣いのような少し邪悪な雲が低く海を覆い、ぽつぽつと、やがて無視できない重さの雨をもたらした。便箋をかばうようにカバンにしまい、アーケードのある商店街の方に駆け出した。

そのまま日は暮れ落ちて、愛おしい温度の灯りが街を包みはじめた。

***

夜の海は思ったより人が少なくて、幾組かの若者たちが、闇の中、声を頼りに互いの位置を確かめ合っている。闇の中に、音だけが響く。闇とは音だ。

ローソンで酒を買う。甘いビールは置いていなくて、最近話題のチューハイを買う。99.99%。その誇りの在りようが愛おしい。僕にはとても、自分の純度を誇れない。
若者が歌っている。力強い声は、確かに夜の渚を彩っている。必要な光景の一部としてある。

寝静まった船を微細な波が揺らして、船体の表面に光が動く。それはローソンの灯りだ。ソープランドの灯りだ。漁船の灯りだ。人が生きている灯りだ。

 

海面は眠る揺りかご他愛なく船をあやして光が動く
ローソンもソープランドも漁火も海にとっては等しい光

 

やがて歌声は止んで、浜辺に打ち寄せる波の音だけが、規則的にあたりに響く。静かな海だ。僕でも太平洋と名付けただろう。今日生まれなかった歌たちのことを思いながらホテルに戻り、眠りにつく。

***

夜の間にまた雨が降ったらしい。それもかなり強く。朝の浜に人はなくて、柔らかい陽に濡れている砂がある。

海を見ながら、朝食を得るためジョナサンまで歩く。海はたぶん昨日と変わらない海で、ずっと昔からそうしているのと同じやり方で、目の前に横たわっている。

24時間営業のジョナサンは、清掃のため数時間の営業中止中である旨の貼り紙をそっけなく出して、静かに僕を拒んでいた。そんなタイミングに行きあってしまったことをむしろ祝福したいような気持ちで、ホテルに戻った。

帰り道、早くも水着姿の少女たちが浜辺に現れはじめていた。海はずっとそうしてきたやり方で、彼女たちを受け入れるだろう。

チェックアウトを済ませてホテルを出ると、雨が降っていた。待てば止むのだろうが、船の時間のため、歩く。貫一とお宮も濡れている。

 

貫一もお宮も濡れよ 晴れたあと並んで歩く未来もあろう

 

初島への船は定刻通り出た。デッキに出て、風を浴びる。海の上を行くという行為の、途方もなさを思う。

***

船の航跡というのは、どうしてああも美しく煌めくのだろう。時間という現象の全部が、そこにあるみたいだ。たぶんきっとそうなのだろう。

船の四囲から白い泡が立って、広がっていこうとして、海の一部にとりこまれる様子を、その瞬間が手に取れない時間であることを、ずっと眺めていた。

 

航跡とその他の海と境目といずれ等しき海であること

 

気づけばエメラルドグリーンの航跡は、もうずいぶん長くなっている。島が近づいてくる。一羽のカモメが、船を追ってくる。航跡をたどっている。潮風がすべてを包んでいる。

***

船を降りて、海外線の道を人が少なそうな方を選んで進む。しばらく歩くと、船の音が消える。人の音が消える。岸壁を打つ波の音だけがきこえる。島の音だ。

島内図を見て、灯台まで行こう、と思う。『灯台へ』という小説を昔読んだことを思い出す。

 

灯台へ』分からなかった小説を、わからないまま生きてきたこと

 

灯台は思ったより小さかった。人一人の幅の階段を、頂上へ上る。並んで歩くことも、すれ違うこともできない。そういうやり方だ。

灯台からはいろいろなものが見える。いくつかの半島の影が見える。関東とは半島の連なりだ。

***

島の名を冠した公園には花は少なく、プロテウスの名を戴いた花の王は、精彩を欠いて打ちひしがれたような色をしていた。

スコールのような雨が来て、屋根のある場所に逃げ込む。実朝の歌碑がある。シンプルだがよい歌だ。短歌とはそれでいいのだ。瞳が見たものを信じればいいのだ。

 

体ごと瞳をここに連れてきたうつくしいものみせてあげたい

***

港を望む高台に出る。家々の屋根は鮮やかなモザイク画のようで、海の青に、空の青につづいていく。家々の間の小路を行く人がいる。

民宿の一つに入り、いかと地魚の丼と、ビールを頼む。丼の付け合わせのゴーヤの和え物が、完璧なつまみとして機能する。いかと地魚の丼は感動的においしいわけではなくて、調和ということを教えてくれる。

食べ終えて、帰りの船までの時間をつぶす。ポケモンをつかまえながら、海岸沿いを歩く。遊泳禁止の案内板をこえて、ポケモンGOが道と認識していない細い道をすすむ。海へと突き出たその先端には、写真を撮り合って戯れる裸足の少女たちがいた。その光景を乱さぬように、引き返した。

 

「この先は遊泳禁止」の看板がつくる少女の固有結界

 

ふたたび海を渡った。

***

熱海港に到着するや、叩きつけるような雨がやってきた。天気予報アプリは、この雨がもう止むことはないであろうことを告げていた。
小康をとらえてバスに乗り、駅へと向かう。また来ようと思った。

 

熱い海なんて陳腐なメタファーをしたたかに抱く温泉街よ