2019旭川 Day1
空港を出ると、白い。すべてが、白い。初期化されたキャンバス。いや、上塗りされた白。
初めからそうだったからというような白さで街を塗りつぶしてく
バスに揺られて市街地に近づくにつれ、少しずつ色があらわれる。人の営みが見えはじめる。
雪は人間の上から降って、境界を無化する。抗いがたい白に、人間は境界を引き直す。
生きるとは境界を定めることか。
***
旭川駅に着いて、観光センター併設の食堂で昼食をとる。完璧なたたずまいの食券機で醤油チャーシューめんの券を買い、引き換えに2番の札を渡される。2番さん。旭川での名だ。
2番さんであることを受け入れる今ようやくたびの旅の始まり
駅近くのホテルにチェックインを済ませると15時過ぎ。半端な時間だが、駅の南側にぽつんとあるらしい、三浦綾子の記念館に行ってみようと思う。とにかく雪道を歩いてみたかった。
南へ向かう。本来の舗装が見えるまで融雪されているのは本当に選ばれた道だけで、南へ向かう道はひたすらに白い。雪に自分の足跡を刻みながら進む。雪はさらさらとしていて、案外滑る危険は少ないようだった。氷点橋を渡って、氷点通りを進む。氷点、氷点。傲慢な単語だ。世界を二分する。
氷点の下に世界は沈みおり 溺れることすら忘れたみたい
歩く人は不安になるほど少ない。車通りはそれなりにあるが、雪が音を吸うためか、雪用タイヤの性質なのか、不思議なほど車の音は小さく、どこか遠くの出来事が響いているような感じがする。もぎゅもぎゅと雪を踏みしめる。一歩ごとに一人になっていく。
横断歩道は見えなくて、交差点ごとに、信号と信号に挟まれた一定のエリアをおずおずと歩く。規範とはこのように生まれるのだろう。
おそらくは横断歩道である場所をぼくが歩くとおまえも歩く
空は順調に暗さを増していく。案内板だけは妙に高い頻度であらわれて、目的地までの距離を感じながら歩く。雪道では普段ほどのスピードが出ないことに、ようやく気づく。大きめの道路を渡って少しすると、歩道がなくなった。車道と思われる場所の端っこを、気をつけて歩く。ほどなく、通せんぼのような高い木々が突き当たりを知らせた。外国樹種見本林。その脇に、記念館は静かに佇んでいた。
***
三浦綾子のことを知らない。せめて読んでおこうと思った『氷点』は結局50ページくらいしか読めなかった。
その生涯をたどったパネル展示を丁寧めに読んでいく。その多作に驚く。乞われて書きつづけたのだ。生きる道をそう定めたのだ。そのようにして書きつづけることの尊さを 少しは知っている。
書くことを生きることとは定めたり 軒のつららは研ぎ澄まされて
ささやかであたたかくて、複数の愛に支えられた空間に、何かを突き付けられる。
建物を出ると、思い出したように冷気が全身を襲う。見本林の前に立つ。すき間から見えるその先に、意外にも世界はつづいているようだった。
果てだよと教えるような見本林その隙間から未来を覗く
来た道を戻る。雪がちらついている。
***
酒を飲む場所を探す。駅で取ってきたぺらぺらのガイドマップであたりをつけ、歩き出す。新子焼というのが食べてみたかったが、なんとなくどこも入りづらく、ぐるぐると夜の街を歩く。
新子焼、鳥の半身、求めあうアンドロギュヌスじゃなかったぼくら
ローカルチェーンらしき飲み屋がある。無料案内所がある。ふんわりとした愛称がつけられた一角がある。街の構造を、設計思想を把握する。把握した気になる。基本的に人は少ない。雪は入り口を閉ざしていて、入店までの異なったステップを現出させる。
結局1時間近くも歩き回って、目についた蕎麦屋に入る。地酒地酒地酒。旭川のものではないが、ニ世古彗星という酒が格別に美味い。その名をひとり言祝ぎつつ、今日の旅の正しさを確信する。
日本酒に彗星という名をつけることの切実 盃を干す
明日は今日よりも冷え込むようだ。