2018 熱海にて

札幌に行けなくなった代わりに行った熱海の、断片的な紀行文を書きました。

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明るいままに一瞬の通り雨が過ぎて、虹が出る。半円の虹はその半分に、さらにその半分にと、移ろっていく。消え去るまでの間、魂をそちらへ飛ばす。

 

半円の半分の半分の虹記憶のようにとどめられない

 

傾く日差しの中で細やかな陰影を与えられ、少しの間だけ空の主役となっている雲がある。

高速船の入港を合図にカモメたちが飛び立ち、しばしトンビとの駆け引きを楽しむように舞い飛んだあと、一羽、また一羽と別の場所へ飛び去っていった。彼らが自分の行くべき場所を知っていることが妙に頼もしくて、その力強い翼が墨色の鳥影となるまでを、見つめていた。


夜の遣いのような少し邪悪な雲が低く海を覆い、ぽつぽつと、やがて無視できない重さの雨をもたらした。便箋をかばうようにカバンにしまい、アーケードのある商店街の方に駆け出した。

そのまま日は暮れ落ちて、愛おしい温度の灯りが街を包みはじめた。

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夜の海は思ったより人が少なくて、幾組かの若者たちが、闇の中、声を頼りに互いの位置を確かめ合っている。闇の中に、音だけが響く。闇とは音だ。

ローソンで酒を買う。甘いビールは置いていなくて、最近話題のチューハイを買う。99.99%。その誇りの在りようが愛おしい。僕にはとても、自分の純度を誇れない。
若者が歌っている。力強い声は、確かに夜の渚を彩っている。必要な光景の一部としてある。

寝静まった船を微細な波が揺らして、船体の表面に光が動く。それはローソンの灯りだ。ソープランドの灯りだ。漁船の灯りだ。人が生きている灯りだ。

 

海面は眠る揺りかご他愛なく船をあやして光が動く
ローソンもソープランドも漁火も海にとっては等しい光

 

やがて歌声は止んで、浜辺に打ち寄せる波の音だけが、規則的にあたりに響く。静かな海だ。僕でも太平洋と名付けただろう。今日生まれなかった歌たちのことを思いながらホテルに戻り、眠りにつく。

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夜の間にまた雨が降ったらしい。それもかなり強く。朝の浜に人はなくて、柔らかい陽に濡れている砂がある。

海を見ながら、朝食を得るためジョナサンまで歩く。海はたぶん昨日と変わらない海で、ずっと昔からそうしているのと同じやり方で、目の前に横たわっている。

24時間営業のジョナサンは、清掃のため数時間の営業中止中である旨の貼り紙をそっけなく出して、静かに僕を拒んでいた。そんなタイミングに行きあってしまったことをむしろ祝福したいような気持ちで、ホテルに戻った。

帰り道、早くも水着姿の少女たちが浜辺に現れはじめていた。海はずっとそうしてきたやり方で、彼女たちを受け入れるだろう。

チェックアウトを済ませてホテルを出ると、雨が降っていた。待てば止むのだろうが、船の時間のため、歩く。貫一とお宮も濡れている。

 

貫一もお宮も濡れよ 晴れたあと並んで歩く未来もあろう

 

初島への船は定刻通り出た。デッキに出て、風を浴びる。海の上を行くという行為の、途方もなさを思う。

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船の航跡というのは、どうしてああも美しく煌めくのだろう。時間という現象の全部が、そこにあるみたいだ。たぶんきっとそうなのだろう。

船の四囲から白い泡が立って、広がっていこうとして、海の一部にとりこまれる様子を、その瞬間が手に取れない時間であることを、ずっと眺めていた。

 

航跡とその他の海と境目といずれ等しき海であること

 

気づけばエメラルドグリーンの航跡は、もうずいぶん長くなっている。島が近づいてくる。一羽のカモメが、船を追ってくる。航跡をたどっている。潮風がすべてを包んでいる。

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船を降りて、海外線の道を人が少なそうな方を選んで進む。しばらく歩くと、船の音が消える。人の音が消える。岸壁を打つ波の音だけがきこえる。島の音だ。

島内図を見て、灯台まで行こう、と思う。『灯台へ』という小説を昔読んだことを思い出す。

 

灯台へ』分からなかった小説を、わからないまま生きてきたこと

 

灯台は思ったより小さかった。人一人の幅の階段を、頂上へ上る。並んで歩くことも、すれ違うこともできない。そういうやり方だ。

灯台からはいろいろなものが見える。いくつかの半島の影が見える。関東とは半島の連なりだ。

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島の名を冠した公園には花は少なく、プロテウスの名を戴いた花の王は、精彩を欠いて打ちひしがれたような色をしていた。

スコールのような雨が来て、屋根のある場所に逃げ込む。実朝の歌碑がある。シンプルだがよい歌だ。短歌とはそれでいいのだ。瞳が見たものを信じればいいのだ。

 

体ごと瞳をここに連れてきたうつくしいものみせてあげたい

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港を望む高台に出る。家々の屋根は鮮やかなモザイク画のようで、海の青に、空の青につづいていく。家々の間の小路を行く人がいる。

民宿の一つに入り、いかと地魚の丼と、ビールを頼む。丼の付け合わせのゴーヤの和え物が、完璧なつまみとして機能する。いかと地魚の丼は感動的においしいわけではなくて、調和ということを教えてくれる。

食べ終えて、帰りの船までの時間をつぶす。ポケモンをつかまえながら、海岸沿いを歩く。遊泳禁止の案内板をこえて、ポケモンGOが道と認識していない細い道をすすむ。海へと突き出たその先端には、写真を撮り合って戯れる裸足の少女たちがいた。その光景を乱さぬように、引き返した。

 

「この先は遊泳禁止」の看板がつくる少女の固有結界

 

ふたたび海を渡った。

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熱海港に到着するや、叩きつけるような雨がやってきた。天気予報アプリは、この雨がもう止むことはないであろうことを告げていた。
小康をとらえてバスに乗り、駅へと向かう。また来ようと思った。

 

熱い海なんて陳腐なメタファーをしたたかに抱く温泉街よ